【希望の家日記】東南アジアへ踏み出すきっかけ

遡ること2ヶ月前−。

僕は今でこそ、国際協力!東南アジア!貧困問題を解決したい!などと言っているが、もともとそういったものに対する興味は一切ない人間だった。

上智大学在学中は福祉の勉強をしていたが、どこか自分のやりたい事との乖離を感じていた。
というより、自分が何をしたいのかが見つかっていなかったのだと思う。学校内に仲の良い友達はいたし、当時は学生寮に住んでいたので帰れば誰かしら友達がいて、夜更けまでくだらない話をしながら日本酒を飲む・・という生活を送っていた。そういった時間に身を任せてしまえば、とりあえず何も考えず目先の時間を過ごす事はできた。

何かをしたいという気持ちはあったが、それが何なのかはわからず、また自分の飽きっぽい性格も災いして、何かをやり続けるという経験もないまま気づけば大学3年生になっていた。
その頃になると、ちらほらと就活を意識して保険会社でインターンをしたり、大手企業のOBOG訪問をしたり、面接の練習などをしたりする人達が現れた。
そういった人たちを見ても特に焦りのようなものは生まれず、むしろ苦手意識さえ覚えた。
僕のいたコミュニティは女性率が極めて高かった(学科にいたっては男が8人しかいなかった!)ので、みな同様に髪を結び、リクルートスーツに身を包みだす。
それはまるで、工場のベルトコンベアーに、まったく同じ形をしたロボットが次から次へと流れていくのを彷彿させる光景だった。
違うのは印刷された型番号(名前)だけ。そうやって出荷された学生達は、社会人という一括りの中で生きていく事になる・・。学生時代の僕は社会に対し、そういったイメージを持っていた。
そしてそれは自分にとって魅力のあるものには思えなかった。

だが、一方で僕が何かを見つけられているかというとそうでもない。僕は一体、何がしたいんだろう。どう生きていけばいいんだろう。
仲の良い友達が、企業説明会に出席する事でいかに後の面接で有利になるかを熱く語る横で、僕はずっともやもやした気持ちを抱えていた。

だが、そんな日々にもある時変化が訪れることになる。
きっかけは、大学の学科の同期で当時最も仲の良かった大阪出身の女友達の一言だった。
とある平日の1限の授業後、2人で学食のカレーを食べていると、彼女が突然こう言ったことがあった。

「なあ、アンタどうせ暇やろ?向井理の出てる東南アジアの映画見に行かへん?」

その映画とは、「僕たちは世界を変える事ができない」という映画だった。医大生だった作者がイベントを通じて資金を集め、カンボジアに学校を建てるという、実際にあった話を基にしたものだった。

僕は全く興味がなかったが、癪な事に彼女に言われた通り暇だったので、特に断る理由もなくついていく事にした。いつ行くのかと聞くと、なんと今日だという。

さらには、
「でもあたし、このあと用事あるねんな。だからレイトショーにせえへん?新宿バルト9で23時からの回な!終電なくなるから自転車で行こう!!」
などと言い出すのである・・。

もうこの時点で大分面倒くさかったのだが、本当に、本当に癪な事に僕は暇だったので、提案通りレイトショーにいく事にした。
学食を出た後にパソコン室に行き、頼まれたチケットをネットで予約したあと(手配は僕が全て行った)、家に帰り、言われた通りに23時に自転車で新宿へ向かい、彼女と合流する。

そのままバルト9に入ってチケットを受け取り、ポップコーンやらジュースやらを買いこんでいると、あっという間に開始時間が迫ってきた。いそいそと僕らはシアタールームの中に入り、席につく。
洋画の大迫力な予告編がいくつか流れた後、その映画は始まった。

そこでは、カンボジアという国のリアルな現状が語られていた。
カンボジアで実際に起きた内戦の話や、まだ地雷が埋まったままの地域で暮らす子どもたちの話。そしてそれと戦う医学生たちの姿。
導入部分のシーンなんて、本当に今僕らが過ごしていたような大学生活を描いていた。
そこがまたとてもリアル。そして、ショッキング。
最初は暇つぶしぐらいに考えていた僕は、次々と飛び込んでくる新鮮で、かつ衝撃的なストーリーに、いつしか横でポップコーンを食べる彼女よりも夢中になってスクリーンを見つめていた。向井理がイケメンだったからなのか、それとも本当に東南アジアに興味があったのか。彼女がなぜこの映画を観たがったのかはわからないが、少なくとも僕にとっては、そんな事はどうでもよくなっていた。
なぜなら、僕は映画を通して伝わってくるカンボジアの抱える問題に対し、これまでにない衝撃を受けてしまっていたからである。
すごい、これはすごい映画だ・・!

気づいたら最後までずっと観入ってしまっていたので、上映時間はあっという間に感じられた。
エンディングロールが流れ終わった後も、僕は少しの間席に座ったまま動けなかった。
「いやー、立派な人たちもおるもんやなぁ。」
という横の彼女の独り言にも無言で頷く。
頭を殴られたかのような衝撃、というものを初めて味わった気分だ。
すごいなぁ・・。

 

見終わったしばらくしてから映画館を出ると、僕らは停めていた自転車の元へと歩き出した。
レイトショーだけあって、時刻は25時を回っていた。さすがに人通りは少ない。
途中、関西弁で感想をまくし立てる声を他所に、僕はスマホでカンボジアや周辺国について簡単に調べてみた。調べずにはいられない気持ちだった。
さくっと検索をかけただけでも、途上国が多い事、貧困率が高い国が多い事、経済格差が大きく、発展した都市部の中にスラム街も存在していること・・などたくさん情報が出てきた。

「東南アジアって、こんなに色々あるんだ・・。」

今まで全く自分が知らなかった世界がそこにあった。
それはとても新鮮だったし、ショッキングな感覚でもあった。
僕の家は裕福な方では決してないが、地雷源の近くで生活を強いられる事はない。
というか、そんな状況がこの世にあるのすら知らなかった。

ついさっき見たばっかりの、印象に残った映画のワンシーンが頭をよぎった。
子どもが家の横の広場を無邪気に馳け廻り、それを見て、大人が「地雷があるんだ危ないぞ!」と声をかけるシーンだ。
広場を走り回るなら僕だってやった。雑木林みたいなところで、友達と木の棒を振り回しながら虫を取ったりした。当然ながらそこに地雷は埋まっていなかった。
僕が遊んでいたあの場所ではたしかに自由はあったのだ。だが、世界にはそれがないところもある。あの子どもたちと、僕が見ていた世界は違うものなのかもしれない。
そう考えた時に、それまでの自分の中の常識だと思っていたことが全て狭いレンジでの話のように思えた。
また、その時点で自分が持っていた悩みのようなものが、ひどく小さなことのように思えた。

一体、今まで自分は何をやっていたんだ?もしかして、今日僕は何かとても重要なことを発見したんじゃないのか?今までただ生きていただけでは決して見つけられなかったような、それでいて見つけたからには無視することも出来ないような何かを−。

今までこんな気持ちになったことはなかった。それなりに自分がどういうことを面白いと感じるかはわかっているつもりだったが、それにしてもこんな気分は初めてだ。
なんだろう、すごく気になる。もっと知ってみたい。

途中からほとんど喋らなくなった僕の様子に気づいたのか、不審そうに女友達は僕の顔をみている。
その視線に気づきつつ、停めておいた自転車にまたがった。ライトがついていることを確認し、ペダルを漕ぎだす。
それに合わせて、見慣れた新宿のきらびやかな光景が流れ出した。

そう、これは見慣れた光景だ。僕がついさっきまで、「当たり前」だと思っていた光景。
でもこれは日本の、東京の、新宿という街においての「当たり前」なのだ。
本当は世界はもっと広い。もっともっと、僕がこれまで知らなかったような事があり、その分だけ良くも悪くも「当たり前」が存在する。

そう考えた時、そんな広い世界に自分も行ってみたいと思った。
映画を見るだけでなく、自分も行ってみて自分の目で見てみたい。
そして自分の頭でこの現実に向かい合ってみたい。

高田馬場まで彼女を見送った後、住んでいた学生寮に向けてペダルを漕ぎながら、僕は決意した。
何かに背中を押されている気がした。そして、心がそれに従えと言っている気がした。東南アジアに行こう。カンボジアでもいい。他の国でもいい。
とにかく、行こう。

 

和野 佳祐

投稿者: 和野 佳祐

東南アジア孤児支援NGO「Sun And Dear」代表理事