翌日。
あの映画を見て以来、僕の中で東南アジアに行きたいという気持ちが極限まで高まっていた。しかし、決めたはいいものの、ただ行けばいいというわけでもない。
そもそも僕は今まで海外に行ったことが1回しかなく、それはスペインという東南アジアからはかけ離れた国だった。しかも集団で行ったもので、観光程度のものでしかなく、1人で海外に行って何日か過ごしたような経験は一切ない。果たしてそんな僕でも大丈夫なのだろうか。
寮の部屋の中で、とりあえず考えをまとめようとパソコンを開いた。
テキストエディタを開き、頭の中で考えている事を文字に落とし込んでいく。
まずどこに行く?そして何をする?
おそらく観光だけじゃダメだ。僕が知りたい現実は、多分観光地以外の方が見つけられやすい気がした。観光以外の切り口で向こうに行ってみないといけない。
とりあえず適当なキーワードで検索をかけてみる。だが、観光地に関するものはすぐにたくさん見つかったが、それ以外はあまり見つからなかった。
当然ながら手元に何冊か用意したガイドブックも同様だ。
それならば、と「貧困」をキーワードに含めて再度検索をかける。
出てくるのはすでに活動を展開してる国際NGO団体の支援実績や、現地のニュース記事などだった。
うーん、あまりピンとくるものがないな。これはこれで興味はあるけど。
でも今僕が知りたいのは、どうやったら僕が現地が抱える問題を間近で見る事ができるか、だ。
いっそ何も準備せず飛び込んでみるか?とりあえず行ってみてから考えるとか・・。
いや、だめだ。僕は現地語はおろか、英語も話せない。それではせっかくいっても何もできないまま終わりそうだ。
誰か詳しい人に聞いてみる必要があるかもしれない。そうだ、スタディツアーはどうだろうか。大学の同期が以前それを利用してラオスの農村に行ったはずだ。
さっそく東南アジアのスタディツアーを展開しているサイトを手当たり次第探してみた。
ふむふむ、結構あるんだな。あ、これなんていいかも。バングラデシュのツアー。農村に泊まりながら井戸を掘るのか。値段は・・げげっ!こんなにするのか!
これは今だからわかることだが、スタディツアーを催行しようとした場合、安全の担保や現地との調整など、様々な事項が課題となって立ちはだかる。それを前提としてのツアー設定となる場合が多く、また自分達や支援先の利益などを考えると、どうしても料金は安くはできない現実がある。それに加え、その料金に現地までの航空券代は含まれないケースがほとんどだ。
そうなると、当時の学生だった僕がパッと思いついて出せるような金額ではなくなってしまう。ほぼすべてのスタディツアー系に対し、僕は諦めるという手しか持つことができなかった。
ふーむ、まいったな。思うような情報にたどり着けない。
ふと時計をみるとパソコンを開いてから数時間が経過している事に気づく。
少し疲れたので、適当に今開いているページのリンクを押してみた。するとパッと画面が別タブで開き、大学3年生の女の子のスタディツアー体験記のようなものが出てきた。自分がどういう思いでこのツアーに参加して、どういった事を得たかが書いてあった。
それを何の気なしに読んでいて、やがてどうにもならない歯がゆい後悔に襲われるのを感じた。
もっと計画的に大学生活を過ごすべきだった。あるいはもっと早く色々な事に手を出していればよかった。どうして自分は3年生になるまで何もしないで来てしまったのだろうか。
この体験記を書いている子はどうであれ行動をしていた。
自分としっかり向き合い、一体自分が何者になれば良いのかを考え抜き、行動していたのだ。それに比べ自分はどうだったろうか。何もしないままここまで来て、これからものうのうと暮らそうとしていたのではないだろうか。
就活にしてもそうだ。きっと自分は、周りと同じレールに乗るのが嫌だと、自分が何もしないことを無意識のうちに正当化しようとしていたのではないだろうか。
いかんいかん、これではいけない。目を覚ますんだ自分。
幸いなことに、今思わぬ形で東南アジアというキーワードが僕の前に降りてきた。
それならば、これを逃す手はない。何でも良いのだ。心に引っかかったことがあれば、それは自分にとって大切なものになる可能性が高い。どこかの本で目にするようなセリフだが、当時の僕はそれを信じ、再び情報収集を開始した。
検索キーワードを変えたり、旅行会社のHPも見たり、友達に聞いてみたり・・。
思いつき得る手段を一つ一つ試していく。それは果てしない作業に思われた。気づけばもう6時間以上パソコンをいじっている。
時計はすでに夜中の20時を回り、できることはあらかた見尽くしたかと思われた時、「それ」はきた。
きっかけは一本の電話だった。パソコンの画面の見過ぎでしょぼしょぼした目をこすり、電話の相手を見ると母からだった。
「もしもし。」
「あーあんた、やっと出た。今日何回もかけたんだからね。」
「ごめんごめん・・。で、何?」
「この前メールしたでしょ、例の件どうなったのよ。」
「例の件?」
「全然見てないんだから!タイの話よ!」
「鯛?いや、生もの送られてもすぐ食べられないからいいよ。」
「違うわよ、そっちのタイじゃなくて!タイ王国の話!」
「・・へ?」
母からタイ王国という言葉が出て、僕は驚いた。
今まさに、タイ王国東北部・イサーン地方と呼ばれるところにある農村でのスタディツアーの記事を読んでいたのだ。
なんだ?もしかして検索履歴見られてるのか?
いや、そんなはずはない。母は当時は遠く離れた仙台に住んでいた。
それに母にそんな検索履歴を調べるようなネットスキルはない。
「ごめん、なんだっけタイの件って。」
「もー忘れたの?知り合いのおばさんから話をもらったっていったじゃない。
貧しい子どもたちが生活する児童養護施設がタイにあって、そこに夏休みの間泊まりに来ないかって息子さんを誘ってみてくださいって言われたって。」
「・・・!!!」
「まーでも、忘れてるぐらいだったらその程度ってことね。わかった、この話断っておくね。じゃあね。」
僕は慌てて電話を切ろうとする母を止めた。
「ま、待って待って待って!! それ、行きます!!行く行く絶対行く!」
信じられない、まさに奇跡。渡りに船。信じるものは救われる。
9回裏2アウトからの逆転満塁サヨナラホームラン!
よくわからないが、とにかく電話越しに僕の興奮ぶりは伝わったのだろう。
母は多少面食らった様子だった。
「そ、そう。じゃ、その人に言っておくわね。あんたパスポートとか持ってるの?ちゃんと準備しときなさいよ。」
「わかりました、ありがとう!!」
母にこれほど本気で心の底から感謝を伝えたのは何年ぶりだったろうか。
僕は何度も重ねて母にお礼をいい、現地の担当と自分をつないでもらうよう頼んだ。
興奮が冷めやらぬ気持ちで電話を切る。
まさか自分の1番近い場所に手がかりがあったとは、なんと滑稽な話だろうか。
メールを遡って見ると、たしかに母からそれについての件が来ていた。
全くもって見覚えがなく、完全に見落としていたようだった。
メールを読み、改めて心の中で母に感謝したあと、僕は急いでキャリーケースを探した。
思わぬ形だったが、道筋は見えたぞ。
それも、施設に泊まるとなれば単なる見学以上の収穫が見込めるだろう。
いざ決まりそうになると不安な気持ちがないわけではなかったが、期待の気持ちの方がはるかに上回っていた。
タイか。一体どんなところなんだろうか。
僕はまだ見ぬタイの国や人を想像しながら、キャリーケースに何を詰めようか考え始めた。
この出来事が、その後の僕の未来に大きく影響することになる。
運命の分かれ道なんてものがあるのかわからないが、人生で何か一つそれを挙げろと言われたら、僕は間違いなくこの電話だと言うだろう。